先日の池江さんの件聞いて、
不謹慎ながらこの言葉が浮かんでしまいました。
文字通りにとらえれば、
美しい人ほど病弱であったり、数奇なあるいは過酷な運命に巻き込まれやすく、惜しまれつつも早くなくなってしまうものだ。
と理解していました。
確かにそれはそれで間違いないのでしょうが。
古今亭志ん朝さんの落語聞いてて、もしかしたら別の解釈もあるかもしれないと思いました。
多分「品川心中」。
枕の部分で、
「花の命は短くて」という言葉を解説しておられました。
花は女性のことですが、
女性の寿命そのものが短いという事ではなく、
「女性がその魅力を最大に発揮できる期間は、非常に短い」という意味。
また、
「どんな女性でも、ある時期とても魅力的な女性になれることがある。ただし、その期間は非常に短い」
それを花にたとえたという事らしいです。
先日2/6の記事「今日と違う明日」のなかで、坂口安吾さんの「青春論」を取り上げましたが、
実は、あの後に重要な部分というか、メインの部分が続いていたので紹介します。
世阿弥が佐渡に流される途中で作ったといいう「檜垣」と言う謡曲。
これもうろ覚えなのですが、
檜垣と言うお寺に、毎朝閼伽の水を供えに来る老婆がいる。
その水がとても柔らかな水なので、
住職がその老婆に水のことと、老婆の身の上を尋ねたところ、
老婆はある和歌を読んだのですが、住職にはその枕詞の意味がよくわからない。
それを再び尋ねると
「わたしは、どこそこの川のほとりに住んでいます」
「水はそこで汲んでくるのです」
「和歌のことが知りたければ、その川のほとりに来てください」
とのこと。
後日、住職がその指定されたところへ行って見ると、廃屋が一軒ある。
中へ入って見ると、
虚空から老婆の声で
「私は若い頃都に住んでいて、非常に綺麗でみんなにちやほやされて楽しく暮らしていた」
「ところが、年齢を重ねるうちに容姿も醜くなり、誰からも相手にされなくなってしまった」
「そのことを思い悩んで、悶え死んでしまった」
「そのためにこの世から離れられずにいる」
「どうか、ご住職のありがたいお経で回向してもらい、成仏させてもらいたい」
とのこと。
住職は
「わかりました。ではまず姿を現しなさい」
と言うと、例の老婆でなく鬼女が現れた。
和尚がお経を唱えると、その鬼女は若い日の楽しい日々を思い出しながら、恍惚と踊りながら成仏して消えていった。
多分、原文とかなりの部分で違っているものと思われますので、興味のある方は是非本文で確認してください。
坂口さんがこの事をある女性に話したところ、その女性は非常に共感されたとの事。
女性は、失われた青春のせいで狂い死んでしまうほど、一瞬一瞬を強烈に生きている、と坂口さんは感心すると同時に、羨ましいと表現されていたように思います。
容姿の劣化で悶え苦しむという構図は、男では喜劇になってしまいますね。
そういう意味では、先日の「今日と違う明日」という言葉、青春という時代、
女性の方が実感として理解しやすいのかもしれません。
その正確な起源は明確ではないとされてます。
もしかしたら、この鬼女が踊りながら成仏する様を模したものかも?
と個人的には思ったりもします。
~本日の早朝散歩~
小雨交じりの強風のためどうしようかと迷いましたが、とりあえず平沢海岸へ。
穏やかに見えますが、けっこう風が強いんです。
先日、渚の礫と砂のこと書きましたがちょっと認識が間違っていたようです。
この海水浴場、約100mくらいだと思うのですが、砂の投入がなされたようです。
東側にコンクリートの堤防。
西側には石組みの堤防。
10mくらいの沖合には多分テトラか何かの構造物を沈めて、砂の流出を防いでいるようです。
帰りに若しかしたら朝日が見えるかもと、やまきホテルの駐車場に寄ってみましたが、残念ながらダメでした。
従いまして本日の開運画像はありません。
両津市街地方面
日の出もだいぶ東寄りになってきましたが、まだまだ小佐渡の山からです。
多分3月の中旬くらいになれば、平沢海岸でなら海からの日の出が見れると思います。
もっとも、もっと北のほう、鷲崎あたりでしたら一年中海からの日の出です。
また、藻浦という集落ですと7月あたりは、日の出と日没、両方海です。
たぶん。
中学生のころ、そこで合宿しながら砂礫の調査したことがあって、あいまいですがそんな記憶があります。
「花の命は短くて」ですが、全文は
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりし」
「放浪記」の林芙美子の言葉です。
実はこれ、彼女の未発表の詩の一部だったんですね。
詳しくはこちらで